あっちとこっち
表参道駅を少し歩くとあるTOBICHI。
糸井重里さんがプロデュースするそこは、住宅街にあってもなんの違和感もない、むしろ安心できる造りだ。
1月23日から一週間行われている増田セバスチャンのあっちとこっち展へ行ってきた。
増田セバスチャンは、きゃりーぱみゅぱみゅのPVなどのプロデュースやテレビ番組「PON!」のセットのプロデュースなどを行っている。
わたしは彼の世界観が好きだ。あんなカラフルな世界を作り出せるのはきっと彼しかいないと思っている。
まだ木の匂いが残る階段を上っていくと、3人ほどのお客さんと優しく案内をしてくれるお姉さんが1人。
暗幕の中は増田セバスチャンの作った世界。
中に案内してくれるお兄さんが次の人を招き入れるたびにチラリと見えるその世界がいっそうわたしのドキドキと期待感を膨らませていく。
音楽が聞こえる。
最初は鳥のさえずり、まるで森にいるかのような。次々と音楽は変わり、ディズニーで流れていそうな曲から心音のような音に変化していく。だんだん変わるにつれて、なぜか焦燥感と不安感が増していく。次にかかった曲(正確には曲ではないが)は、大人と子供が英語でなにやらヒソヒソと話しているものだ。英語だから全然聞き取れなかったのだがなにやら怒っている子供を大人が諭しているかのようなものだった。
看板をよく見るとあっちとこっち展というタイトルの下にはサブタイトルが書いてある。
knockin' on heaven's Door
どうやら私たちは天国へと誘われていくようだ。
ふわふわした気持ちのまま、わたしの番がやってきた。
中は思ってたよりも全然狭く、6〜8畳くらいに感じた。
「3分ほど経ったらベルを鳴らします。それまで自由にお過ごしください。」
優しそうなお兄さんにそう言われ、静かに真っ白なブランコに座った。
ブランコの前には大きな窓があり、外の世界が広がっていた。見える景色は青い空、大きな木、そして青山霊園。
その景色にものすごく圧倒された。わたしの周りの鮮やかな、かわいいぬいぐるみたちが途端に色をなくして見えた。
涙が出た。
悲しい感情が押し寄せてきた。
周りにいるぬいぐるみたちは、きっと人間たちに捨てられ、行き場をなくしたかわいそうな子たちなのでは。
そんな考えが浮かんだ。
よく見ると窓の右下に、他のぬいぐるみよりも大きいクマがいた。そのクマは、圧倒的な存在感を放っていた。
「あっちへ行こう。君はすぐにでもあっちに行けるよ」
そう囁かれている気がした。
ひどく怖くなった。優しいお兄さんよ、すぐにでもベルを鳴らしてくれ。心の中で念じたが、たったの3分はあまりにも長く感じた。
とにかく落ち着いてもう一度全体を見るようにした。
入ったときにかわいいと感じたぬいぐるみたちは、みんなわたしを見ている気がする。その視線から逃げるように、ブランコに揺れながら窓の外を見る。ゆらゆら、ゆらゆら。外は晴れていて、木も少し揺れている。お墓を見ると真っ赤なダウンを着た女の人が見える。彼女はきっと大事な人を思ってここに来たのだ。
とても穏やかな気持ちになった。
死んだらいつか忘れられてしまう、なんて誰が言ったのだろう。彼女の心の中にはきっといつまでも生き続けているのに。
部屋の中に視線を戻す。
また、音楽が変わった。
あの大人と子供の声だ。2人の焦燥感がわたしを煽る。
ちりん。
やっと3分が経った。優しいお兄さんに迎えられ、あの空間から逃げるようにわたしは出て行った。
かわいいってこわくて、残酷だ。そんな感想がいつまでもわたしの頭の中を巡る。
わたしにはもやもやしたグレーの色に見えたあの世界は、きっと「生きるということ」を表している。逆に穏やかなオレンジに見えた外の世界は「死ぬこと」を表している。あっちが「死」でこっちは「生」。あっちは死んでしまっても誰かに愛され続けていられる。しかし、こっちはきっと誰にも愛されてない人が存在する。悲しみの原因はこれだ。ずっと考えて見つけた答えもまた、ひどく悲しいものだった。
増田セバスチャンは、あんなカラフルな世界を作り出しておいて人によってときに鮮やかでときに残酷、何色にも見せてくれる。
わたしはみんなに、何色を見せられるだろう?